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高森明勅
2017.8.13 23:00

証言

元陸軍技術少佐だった今村和男氏(大正7年生まれ)
特攻隊について、次のように語っておられる。

「私が(戦後に)防衛庁(当時)で命じられたことは…
(戦史の多角的・
客観的な検証の1つとして)
あの戦争で特攻機はどこまで効果があったのかという調査です。
訪米時、(マサチューセッツ工科大学の)ドビー先生を訪ねると
彼は丁寧に教えてくれました
先生の調査では、特攻作戦の物理的効果は
3パーセント程度だったというのです。
そのころ日本では特攻作戦は17パーセントぐらいの
物理的効果が
あった作戦だということになっていました。
しかし向こうの認識ではほとんど物理的効果がなかった
ということ
だった。
ただし効果がなかったわけではない、
とドビー先生は言います。

『日本本土への上陸作戦をするのには、
大変な犠牲を覚悟しなければいけない。
そういう認識を米軍がもつことに貢献した』

つまり物理的効果以上に心理的効果があった。

命をかけて攻撃してきた日本人の愛国心には
心からの敬意を表する

とドビー先生は最後に言われました」

「私は、(戦時中に)宮崎県新田原の基地で
特攻作戦に飛び立つ17から18歳の兵士た
ちに
話を聞いたことがあ
りました。
夕食のあと、
彼らの遺言を聞いてほしいと
陸軍病院の院長から頼まれたからです

彼らは、郷里に残る両親や兄弟姉妹、
友人に自分がどういう死に方をしていったか、
伝えてほしいと口々に言いました。
私は院長から『
絶対に涙を見せてはいけない』と
厳しく言われていました。
だから彼らの前で涙を見せませんでした。
しかし、
部屋に帰ると彼らは泣いていました。
静かに声を押し殺して…。
私も涙を抑えられなかった。
そして翌日、
飛行機が次々と空に上がっていくのを
私たちは手を振って見送りま
した。
そして、最後尾の飛行機が見えなくなると、
みんな飛行機が飛んで行った方向と反対側を向いて泣きました」

― わが亡父も、17歳で特攻隊に志願した。

もう少し終戦が遅れたら、
間違いなく出撃していたはずだ。

そうすれば当然、私もこの世にいなかった。

だから、昭和20年8月14日の昭和天皇の聖断は、
私にとって決して他人事ではない。

父は

敗戦で世の中がどんなに変わっても、
俺は絶対に『17歳の自分』
を裏切らない」

と、幼い私に繰り返し語っていた。

そして、その通りの生涯を貫いた。

私も父に恥じない生き方をしたい。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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